まさか!の乳がん体験記−6

 入院まで   入院までの日々、毎日の家事の他に、兎に角、できる限り、普段,手を付けてない所の整理をしなければ との思いに駆られる。                          もし、私が居なくなったら、さぞ、遺された人たちは、大困りだろうと思う。    他の病気の入院ならこんなことは思わないだろう。いくら気楽トンボでも、やっぱり「ガン」と言われると、家族が遺されるのではないかと、密かに心配になる。   入院までの日々は、十分あると思ったし、何か体を黙々と動かしている方が、気が紛れるけれど、とても大変な作業だ。余りにも捗らどらないので、こんなこと始めなければよかったと後悔する。                    自分でも、一番呆れたのは、新聞、本の切り抜きの多さだ。でもこんな物は、必要とする人が居なくなったら、何の意味も無い。やるべきは、生活備品、何がどこにあるか、誰にも判るようにする事だと気付く。   阪神大震災の建て替えの時以来の、「取り敢えず」と、手当り次第に押し込んだ物が、頭を悩ませる。 結局、決心した事の半分ぐらいしか出来無かったが、こんな事でもない限り、苦手な「整理」は出来ない私なので、これも、天の配慮かと思ったりする。
 10日間の入院中の留守家族の食事も頭が痛かった。休日も帰宅時間も不規則な息子、外食は好かん、まして一人では絶対嫌、という主人。      入院までに、買い物にも付き合って貰って、スーパーや、お惣菜やさんのおかずなどを買って、「まぁ、なんとか食べられそう」と言うのを決めておいたり、 生協さんの、レトルトや冷凍のオカズ類を沢山買い置きもし、私のお気に入りの特殊お鍋でのIHのご飯の炊き方もメモに書いて教え、A実業の美味しいインスタント味噌汁も揃えた。     不自由をするかも知れないけれど、これで非常事態も一安心と思っていたら、困った顔をして、主人が言った。
「こんなに沢山買ってくれても、毎日、どれとどれを組み合わせて食べたらいいか判らん。」  カレーとか、おでんとか、一品でおかずになるものはよいが、主菜、副菜、お汁物の組み合わせとなると、台所経験のない人には、思い付けないのも無理ないと気が付く。   そこで、大きなカレンダーの白い裏紙に、10日間の献立表を作っておくことにする。   この献立表は、私が退院してからも後々まで、何かの話のついでに、 「大助かりやった」と、何度も有り難がられた。

この他に、ほうれん草を茹でるのは簡単だし、これ一つ覚えておけば、そのままお浸しやバター炒めも出来ると思い、教えかけたら、いちいち操作を、デジカメに収めようとしたのには驚いた。